m
広告 下の資料が掲載されているのではありません。書籍購入↑こちらから
軍艦防波堤連絡会 公開資料
この資料集は、軍艦防波堤に関わる発言や文書等を後世の人々が読めるように保管します。 生の息づかいを可能な限り保つため、なるべく語られたとおりに記録し、修正は少なくしています。編集開始2013-04-24 公開2013-05-06
↓(青文字)をクリックすると、各文書へ移動します。 軍艦防波堤連絡会
正誤表 「若松軍艦防波堤物語」28頁「各地の軍艦防波堤」について
・大正時代の桃型駆逐艦
http://「柳」の設計図(外部リンク アマゾンクラウドです。設計図は重いです。)
・実際に「柳」を練習船として体験した方が、戦後その思い出を書き綴った記録←これは、凉月の文書ではありません
・柳 乗組員 平田(山川)重成氏が 地中海派遣された折に綴った肉筆日記写真PDF (別ファイルへ行きます)
・柳 乗組員 平田(山川)重成氏が 地中海派遣された折に綴った日記 書き起こし (12ヶ月分を手打ちで書き起こし、推敲中)
・駆逐艦「凉月」の思い出( 太田 五郎)
軍艦防波堤連絡会より「海上特攻隊の関門海峡通過」に関わる問題提起(私見であり、資料ではない)
・第一回 軍艦防波堤を語る会の前身 「駆逐艦凉月元乗組員と語る会 」のやりとり 発言記録
・インタビュー 凉月について 対談 太田五郎さん、宮原明さん
・インタビュー 凉月について テレビインタビュー 溝江美代次さん
若き研究者が静止画ビデオを完成し、動画サイトyoutubeで閲覧できるようにしました。(発表分のみ。質疑応答なし)、
https://www.youtube.com/watch?v=QQnLJbq6NOQ
102年前、
桃型駆逐艦「柳」の設計図、公開しました。詳細に見えます。ダウンロードして自由な発想でお使い下さい。
ミラー1
ミラー2
.
沖縄海戦を凉月乗組員が記録した手紙(ZIP形式。ダウンロードしてお読みください)
・手紙の中身について
昭和二十年四月、駆逐艦凉月は戦艦大和を護衛し沖縄海上特攻を行ないました。搭乗員・宮本梅幸氏(元一曹)が記憶を元にこの手記を記しました。宛先は凉月駆逐艦長 平山敏夫氏(元中佐)です。(平山氏は戦後も健在でしたが、手紙当時は既に故人。)
三十年以上のち、平山敏夫氏の孫・澤章氏がこの手紙を読み、熟慮の末、平成二十七年年四月の「軍艦防波堤を語る会」にて展示しました(PDFの最初の澤氏の挨拶はこの時のものです。)
その後軍艦防波堤連絡会と協議、ネット公開を決断しました。
(ZIP圧縮しています。個人でウィルスチェックしてますが、進化に追いつけません。自己責任でダウンロード願います。)
ミラーファイル 1 (amazon drive)
(画面下の「ダウンロード」クリック)
・著作権、配布について
このファイルの著作権は澤章氏が持ち、公開作業を軍艦防波堤連絡会が行ないました。
第三者による再配布を認めます。
他者に見せる場合は、この圧縮ファイルのまま「手紙-沖縄海戦を記録PDF説明書.txt」及び「手紙-沖縄海戦を記録.PDF」丸ごと全部セットでお届け下さい。
画面コピー、印刷、編集、その他一部が欠ける行為は認めません。著作権法上の「引用」はこの限りではありません。 商用利用の場合は事前にお知らせ下さい。
・公開についての考え
宮本梅幸氏の著作(手紙)を平山敏夫氏(既に故人)の家族が受け取り、孫の澤氏が継承しました。澤氏は長年宮本氏への連絡を努力しましたが、かないませんでした。
内容の重要性に鑑み、敢えてネット公開し戦争と平和を考える一助としたいと考えます。
リンク切れ工事中についての記録。 2015-09-23まで、すべての資料を一つのファイルにまとめ、アンカーでジャンプさせる構造にしていました。しかし、リンクが停止する現象が頻発し、対策をたぐるうち、あまりに1つのファイルサイズが大きくなり過ぎたことが原因だと判明しました。
対策として、複数のファイルに分けました。今までは一つダウンロードするだけで、全部の資料が得られる利点もありましたが、とは言えリンクを作動させるためなので仕方がありません。大事な資料ですので、リンク作動状態にて再度公開します。不具合ありましたら、までお知らせ下さい。